2011年11月01日

インスピレイティッドゥ、バイ。





日付が変わって深夜、帰宅。
そういえば夕食食べてないなと気づいたらなんとなく空腹になって、
この前の料理の端数でグラタンを作る。


ゆでたブロッコリーと、輪切りにしたゆで卵と、ミックスビーンズとツナのマヨネーズ和えとを雑多に入れ、久しぶりに手作りしたホワイトソースをかけて、スライスチーズを乗せる。
グラタン皿はないけど、ひとりだからなんでもいい。
とりあえずチーズがとろけてくれれば、それでいい。

オーブンに入れて、この前飲みきらなかったワインを出す。
この前と同じグラスを出してきて、この前よりなみなみと赤く注ぐ。

出てきたグラタンぽいものに、流行ったんだかなんだか知らない[食べるオリーブオイル]とやらをかける。

あのチーズも焼こうか今迷っている。なんだけっな、プロセスチーズだっけな。





私の祖父母の名前は両方とも一風変わっている。
彼らの時代からしたら大して風変わりではなかったのかもしれないが、
私は同じ名前を聞いたことがないので、変わっていると思っている。



母方の祖父は、嘉徳と書いてカトクと読む。
私が小五の時に永眠しており思い出は限られているが、伝え聞く話に妙な香ばしさがある。

まず自分は京大に一発合格すると信じて疑わず京都に行くが、見事に落ちる。
その後どう潜り込んだのか、田山花袋の書生になる。
田山花袋が京都にいたらしい経歴はWikipediaにはないので、おそらく東京でだと思われる。

著書は聞いたことがないから、作家として芽は出なかったということだろう。
長野に戻り、作家になっていたら捨てなかったかもしれない[色川]という艶っぽい苗字と決別して、祖母の婿養子になる。

その後はなにがどうなったんだか県のお役人になって、本当はお金持ちじゃないのにすき焼きを奢りまくったり移動はハイヤーしか使わなかったりの大見得を切りまくっただとか、
三人で一晩飲み明かして日本酒の一斗缶空けただとか、晩年しいたけの佃煮屋を始めただとか。

一斗缶なんて約18.039リットルというからだいぶ尾鰭だろうが、
その他諸々嘘か真か分からない話にせよ、大正から昭和初期の作家になりたかったらしい断片は孫として面白がっている。



母方の祖母は、きのゑという。
そうでもないと思うが、[呼びづらい]という理由で親戚からはキヌコと呼ばれていた。名前ってなんだろう。

彼女のことを思い出すと真っ先に浮かぶのは、常に梅酒をストレートでチビチビ飲みながら[飲んでいない]と言い張っていたことである。
彼女の席の横にあるキャビネットのガラスの扉を覗くと、いつもほんのり色づいたロックグラスが置いてありバレバレであった。

最後は何も口にできなくなって、静かに眠っていった。




父方の祖父は、教人と書いてノリトと読む。
彼のことはまたきっと書くことになる、今は割愛する。



父方の祖母は、七五三子と書いてシメコと読む。
注連縄(しめなわ)の別の表記に七五三縄というのがあるので全くの当て字ではないのだが、
[長女が七歳、長男が五歳、次女が三歳のときに生まれたもんでつけただってゆうだじぃ、やだじゃねいかい]
というのが、祖母の鉄板ネタである。

彼女はよくも悪くも生真面目であり、よくも悪くも全て真に受けてしまう。
彼女が不安になっているときに笑顔にすることは非常な忍耐を要するので、
彼女を不安にさせないことが一番だと、誰もが思っている。
もとい、祖父以外が思っている。その部分は長くなるので、割愛する。







三十年弱生きているだけでいろいろなことがある。
細かい事情が大事に至ったりする。

私は今東京でこうして勝手に暮らしているが、
全て無関係になって自由になったという訳ではない。

無論、全て無関係になることが自由になるということであるとは思っていない。







結局チーズも焼いた。
この前のとろけて落ちたそれがオーブンに残っていたようで思いの外煙が上がったので、
窓を全開にして、換気扇を最強にして、うちわで必死に扇ぐという顛末を辿った。

こんな夜中に火災報知機は勘弁だからね。









posted by アキラm at 04:07| Comment(0) | 無分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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