2012年03月04日

田舎幼少期回想散文.1





1980年代。
長野県北西部、北アルプスの麓。
面積が大きいってだけで市になった片田舎。

山の中腹、標高720メートルの地の小さな集落。
その九割は苗字が同一。
区別をするため、屋号で呼び合う。
屋号の表記は漢字ではなく記号である。
その記号はそれぞれの家の蔵に描かれてもいる。

私の産まれた家は[カネジョウ]という屋号であり、
それは[¬]の下に[上]と書き表す。

ただウチは例外的に屋号ではなく土地の名前である[大裏(おおうら)]の方で呼ばれていた。
それはおそらく集落の一番奥に位置していたからだと思われる。


集落の中にある家のお墓は集落の中にある。
文字通り、産まれてから死ぬまで、死んでも、黙っていればこの中にいることになる。

集落の中にあると言ってもさすがに真ん中にではなく、端の、山の中に建てる。
ウチは立地的に山を背負っていたので、
家の周囲半分以上はお墓に囲まれていた。
これが普通だったので、もちろん怖いなどとは思っていなかった。



記憶にある集落の多くの家は、茅葺屋根、もしくは茅葺の上にトタンを張った屋根で、
玄関の扉をガラガラを開けると、まず大きな土間が広がっている。

土間を囲む木製の[あがりはな]は、大人が腰掛けるのにちょうどよい段差であり、
バリアフリーには程遠い。

あがりはなの先にあるのは一面の引き戸であり、
一枚二枚や一部屋二部屋の区別なく、敷居の溝の上を自由にガラガラと動く。
農家の家というのは無駄に広く、この引き戸によって[部屋]としていたように思う。

引き戸を開ければ掘り炬燵はデフォルトだ。
掘り炬燵に使う豆炭を備蓄する小屋は大抵勝手口から出た辺りにある。
豆炭の横には薪が積まれていることが多い。


ウチも例外なくこんな家で、
堀り炬燵の思い出といえば、一週間に一回くらいライターが落ちて起こる小爆発。
ポンっという乾いた音に、あっと思って炬燵の布団をめくると、
豆炭を覆う灰が巻き上がって、もくもくと、目の前が白くなる。

薪は主にゴミを燃やすために使っていた。
よっぽどの不燃ゴミ以外、ゴミ収集に出す習慣などなかった。

もちろん水洗トイレもない。
畑の肥溜めは大切な肥料だ。



水は豊富だった。
山の湧き水が絶えず、集落に張り巡らされている石で作られた溝を流れる。
集落の一番高い所にあるウチの裏にはその水の流れを変える基点が存在した。
とは言え、それはただ1つの大きな石である。
その石の位置や向きを変えることで、各家に流れる水量が左右される。

お菜洗いたいもんで悪ぃね、って
他の家に流れる水量が一時的に減ることを断りに歩いたりする。
あのねえさんはまたなんもゆわねぇでオラとこの水止めただじ、って
よからぬ火種にもなりがちだった。


狭い、狭い世界。





そうは言っても昭和が終わろうとしていたこの時代、
なにも現代が遠かった訳ではない。知らなかった訳でもない。

坂を下りて10分も歩けば駅があったし、
駅前から伸びる商店街はそれなりに栄えていた。
商店街の先には三階建てのジャスコも割りと早い段階でできていて、
確かに歩けば遠いが車ならやはり10分程度の場所だ。

ただ、集落の衆はそれを[マチ]と呼び、
誠、キョリがあった。









posted by アキラm at 01:40| Comment(0) | 回想散文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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