2011年12月11日

歳月を得る





今日は皆既月食だと知って、バイト帰り、珍しく赤ワインを買ってきた。
ホットワインでお月見といきましょう。


と、私がそんなにうまいことコトを運べるはずがない。

帰ってきてまずお風呂に入り、あれやこれやとおつまみを作り出す、
ここまでは悪くなかった。同時に洗濯したりして、調子がよい風であった。

満を持してさあワインを開けようとして、コルク栓であることに気づく。
はいはい、前にもこんなことがありました。
最近手ごろな値段のワインはコルクでないことが多いからって油断して困ったことがありました。
その際、私は仕方なく階下の大家さんが経営する雑貨屋さんにコルク抜きを買いに行ったのです。
だから、ある。絶対ある。

のに、こんなときに見つからないのは、なんなんでしょうね。世の常とは言え。
結局家中を大捜索し、何で最初にそこを見なかったんだっていうキッチンの戸棚の隅に見出す。
もちろん、料理が全て冷めきった頃に。





1週間前の日曜日、私は渋谷の西武にいた。
私が百貨店と呼ばれる場所に自ら行くことはそうそうない。
百貨店はそれなりの人がそれなりのものを買いに行く場所として認識しているから。

だから、それなりのものが欲しかったゆえに、慣れないその場所へ行った。



私の父方の祖母、七五三子(しめこ)は、昭和2年12月8日生まれである。
先月、ちょうど誕生日の1ヶ月前に会ったときには、
私は彼女に、おいしい、できるだけ高級な、プリンを誕生日プレゼントにしようと考えていた。

でもそれが叶わなくなって、今度は、
できるだけ優しい、肌触りのよい、タオルにしようと考えた。

自分のタオルをそんなに丁寧に探したことがないから、そんな場所に頼ったのである。




誕生日前日、彼女のいる安曇野へ行き、当日の朝、改めて会いに行った。


おばあちゃん、さて今日は何の日でしょう。
何の日だいい?
今日は12月8日!
わあ、お誕生日!
そう、だからプレゼント!
わあ…こんなのむらったの(貰ったの)初めてだわ…


まじまじと包装された箱を眺めながら彼女は涙を拭った。


あけてみ、あけてみ。


簡単な包装にしてもらったが、手伝ってもなかなか開けるのに時間がかかった。


触ってみ!どう?
柔らかい、優しいわ。
よかった、使ってね。
おうおう。


そう言って、彼女は早速そのタオルで涙を拭いた。



私はいくつになっただいい?
おじいちゃんの4つ下ずら?84だじ、おじいちゃん今年米寿だで。
そうかい…84かい。



しばらくして看護師さんが1枚の紙を持ってきた。
そこには[お誕生日おめでとう ― 看護師一同]と書かれていた。
祖母は感激して、「こんなのむらったの初めてだわ、ありがとう」と言った。


私は帰り際、おばあちゃんこれ使ってね、きもちいいで、ともう一度タオルを渡しておいた。
おうおう、これきもちいいだわ、と彼女は笑顔で言った。




彼女は84回目の歳を得た。
得た、といえるには、84回ほどの説得力が要ると思った。






月食を確認しながら、かくゆう私も29を数えた。
昔どこかの英語教師が得意げに話していた掘り下げるまでもないあの余談のように、
デジタル的には、かちっと、29を数えた。

あといくつ数えるのか分からないけど、
もう数えることがなくなると悟ることができるならその時は、
[こんなに生きちゃったよ、どうだい]と笑っていたい。と、今は思う。
恥じるでもなく、惜しむでもなく。





ホットワインは結局1杯目だけで、
2杯目からは煩わしくて、常温で飲んでいる。

月食は欠けるというより、霞んでいくという印象だった。
やっぱりそんな、かちっと、なんて、いかないよ。









posted by アキラm at 01:44| Comment(0) | 無分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月29日

行方不明

生きていくことが甘えだと言われたんだと思う。
posted by アキラm at 00:26| Comment(0) | 無分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月01日

インスピレイティッドゥ、バイ。





日付が変わって深夜、帰宅。
そういえば夕食食べてないなと気づいたらなんとなく空腹になって、
この前の料理の端数でグラタンを作る。


ゆでたブロッコリーと、輪切りにしたゆで卵と、ミックスビーンズとツナのマヨネーズ和えとを雑多に入れ、久しぶりに手作りしたホワイトソースをかけて、スライスチーズを乗せる。
グラタン皿はないけど、ひとりだからなんでもいい。
とりあえずチーズがとろけてくれれば、それでいい。

オーブンに入れて、この前飲みきらなかったワインを出す。
この前と同じグラスを出してきて、この前よりなみなみと赤く注ぐ。

出てきたグラタンぽいものに、流行ったんだかなんだか知らない[食べるオリーブオイル]とやらをかける。

あのチーズも焼こうか今迷っている。なんだけっな、プロセスチーズだっけな。





私の祖父母の名前は両方とも一風変わっている。
彼らの時代からしたら大して風変わりではなかったのかもしれないが、
私は同じ名前を聞いたことがないので、変わっていると思っている。



母方の祖父は、嘉徳と書いてカトクと読む。
私が小五の時に永眠しており思い出は限られているが、伝え聞く話に妙な香ばしさがある。

まず自分は京大に一発合格すると信じて疑わず京都に行くが、見事に落ちる。
その後どう潜り込んだのか、田山花袋の書生になる。
田山花袋が京都にいたらしい経歴はWikipediaにはないので、おそらく東京でだと思われる。

著書は聞いたことがないから、作家として芽は出なかったということだろう。
長野に戻り、作家になっていたら捨てなかったかもしれない[色川]という艶っぽい苗字と決別して、祖母の婿養子になる。

その後はなにがどうなったんだか県のお役人になって、本当はお金持ちじゃないのにすき焼きを奢りまくったり移動はハイヤーしか使わなかったりの大見得を切りまくっただとか、
三人で一晩飲み明かして日本酒の一斗缶空けただとか、晩年しいたけの佃煮屋を始めただとか。

一斗缶なんて約18.039リットルというからだいぶ尾鰭だろうが、
その他諸々嘘か真か分からない話にせよ、大正から昭和初期の作家になりたかったらしい断片は孫として面白がっている。



母方の祖母は、きのゑという。
そうでもないと思うが、[呼びづらい]という理由で親戚からはキヌコと呼ばれていた。名前ってなんだろう。

彼女のことを思い出すと真っ先に浮かぶのは、常に梅酒をストレートでチビチビ飲みながら[飲んでいない]と言い張っていたことである。
彼女の席の横にあるキャビネットのガラスの扉を覗くと、いつもほんのり色づいたロックグラスが置いてありバレバレであった。

最後は何も口にできなくなって、静かに眠っていった。




父方の祖父は、教人と書いてノリトと読む。
彼のことはまたきっと書くことになる、今は割愛する。



父方の祖母は、七五三子と書いてシメコと読む。
注連縄(しめなわ)の別の表記に七五三縄というのがあるので全くの当て字ではないのだが、
[長女が七歳、長男が五歳、次女が三歳のときに生まれたもんでつけただってゆうだじぃ、やだじゃねいかい]
というのが、祖母の鉄板ネタである。

彼女はよくも悪くも生真面目であり、よくも悪くも全て真に受けてしまう。
彼女が不安になっているときに笑顔にすることは非常な忍耐を要するので、
彼女を不安にさせないことが一番だと、誰もが思っている。
もとい、祖父以外が思っている。その部分は長くなるので、割愛する。







三十年弱生きているだけでいろいろなことがある。
細かい事情が大事に至ったりする。

私は今東京でこうして勝手に暮らしているが、
全て無関係になって自由になったという訳ではない。

無論、全て無関係になることが自由になるということであるとは思っていない。







結局チーズも焼いた。
この前のとろけて落ちたそれがオーブンに残っていたようで思いの外煙が上がったので、
窓を全開にして、換気扇を最強にして、うちわで必死に扇ぐという顛末を辿った。

こんな夜中に火災報知機は勘弁だからね。









posted by アキラm at 04:07| Comment(0) | 無分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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