2012年04月14日

2012春の重力。





なんかスルっとタイトルがでてきたなぁと思ったら、
パクリでした。


2011春の重力。

http://sanzaisanbun.seesaa.net/article/196933468.html

国吉亜耶子and西川真吾Duoさんと共演したのも1年前かぁ。
国吉さんの歌声に震え、西川さんにドラムの概念を取っ払われた、吹き飛ばされた。
[重力]が自分の中で広がったのには、この日の影響が少なからずあるように思う。


そして、2012。
shoujuryoku2012spring2.jpg

フライヤー、この1年で成長したっていうか…こなれてきてる?(笑)



■2012/4/16(月)
小重力@東高円寺U.F.O. CLUB

open 18:00
start 18:30

ADV. 1,500yen (+1D)
DOOR 1,800yen (+1D)

with: もぬけもの, CHARTREUSE, 対新(大阪), 江本祐介, ネコグスパブリッシング

★小重力はトリ前出演 21:10〜予定
※2人編成[小重力]としての出演


月曜日ですが、お仕事帰りに最適時間!
フラっと、ぜひ。
めくるめく赤い空間でお待ちしております。


ありがたいことに、五月も小重力ライブが続きます。
よろしくね。








春がきた。
桜が咲いて、そう思う。

最早、桜に洗脳されてるってことになるのかな。
その花を見るとどうも声に出して、春だねぇって言いたくなる。

花と葉の時期を分けちゃう潔さと、あっという間にハラハラと舞い散る儚さの混在はずるい。
花びらの色と幹の色のコントラストもずるい。
雨が降っている今、もうこれで散っちゃうかな、とか、少し切なくさえさせる。ずるい。

でも、本当にきれい。



春っていうのはなんとも心許ない気分にさせる。
それさえ桜のせいじゃないかって、いや、桜のせいだね。









posted by アキラm at 02:58| Comment(0) | 活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月04日

豪雨から日が差して、晴れたまま雪が降った。





2012年3月29日、午前9時30分頃、父方の祖母が亡くなりました。


地元はもちろん地元を出てから出会った人たちも含め、
多くの友人が彼女に会ってくれました。
彼女はその度、とても喜んでいました。

この場を借りて、
彼女に会ってくださったみなさま、私が話す彼女を聞いてくださったみなさま、
本当にありがとうございました。
心より、御礼申し上げます。







亡くなるちょうど1週間前。
ベットからもう起き上がることができなくなっていた彼女に抱きつき、
「おばあちゃん、東京帰るよ、またね」と言った。
もう最後になるだろうと思っていた。

目がうつろになる時間も長くなっていた彼女が、
そのときはしっかり焦点を合わせて私を見つめ、はっきりとした笑顔で見送ってくれた。

私を、見送ってくれた。


昨年末に医師から覚悟するよう言われ、以後できる限り会いに行けたから悔いはない。
欲をいえば、それはキリがないけど。

彼女にとってこの3ヶ月は、言葉を借りればまさに、ボーナスタイムだったのだと思う。
それは私たちにとっても同じことだった。


最期は病院で、私の母に看取られて静かに、目を疑うほど自然に、息を引き取ったそうだ。
亡くなる1時間ほど前には叔母の手を握り、「また夜来るからね」という言葉に頷いていたという。

それほど彼女は穏やかに心臓を止め、優しい顔で冷たくなっていった。









彼女の葬儀の日は朝から豪雨で、
でも葬儀が終わった途端に日が差して、そのうち晴れたまま雪が降り出した。

「結婚なんてしない方がいい。いつかこうして別れなきゃならんだからな」
祖父が精一杯、冗談ぽく笑った。







おばあちゃんの手はきれいだった。
白くて、こじんまりしているけど指はすっとしていて。

でも私がそれを褒めると、おばあちゃんは決まって悲しい顔をしたんだ。
「もう働かなくなったってことだいね」って。


おばあちゃんがそっちへいった日の夜にね、おじいちゃんが言ってたよ。
「おばあちゃんは、よくやってくれた」って。
あの口の悪いおじいちゃんがだよ。

よかったね、おばあちゃん。
たくさん働いてきて、がんばってきて、よかったね。

がんばってくれて、ありがとう。







降簱七五三子、享年八十五歳。

遺影の中の彼女はまだ若くぽっちゃりとして、白い歯が見えるほど笑っていてとても素敵だ。
ワンショットに加工される前のその写真に一緒に写っていたのは、小学校の頃の私…てのは、
自慢していいよね。









posted by アキラm at 00:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月27日

田舎幼少期回想散文.2





集落一の豪農であるタテオさの家には豚小屋があった。



集落の中では大抵、お互いの呼称に屋号または土地名をつける。
マルヤの姉さん、カッキュウの兄さん、といった具合。
[姉さん兄さん]といっても該当するのは孫がいる年代の人たちである。
それ以下の年代の人はその部分に名前が挿入されることが多い。
私の場合は、オウラのまりちゃ。
名前につく[さん][ちゃん]の[ん]が発音されないのは、未だ謎。


そんな中にあって、タテオさに屋号などの冠がつくことがなかったのは、
それだけ一目置かれた存在だったのではないかと今は解釈している。
のちに彼はみんなに推され、市議会議員を三期ほど務めている。



タテオさの豚小屋には、私が祖父におぶられている頃からよく散歩の途中に立ち寄っていた。
板張りの縦長の小屋で、入り口の扉は西部劇のバーの扉みたいな板がプラプラしているだけだった。
子供の目線からは十分に中が覗き見れたし、今思えば1匹くらい簡単に盗まれそうな造りだ。
八十匹くらいいただろうか。通路を挟んで左右にピンク色の豚さんがたくさんひしめいていた。


祖父と一緒に立ち寄るときは、祖父とタテオさはもちろんよく知った仲なので、
祖父が「おう」と言うとタテオさはいつも満面の笑顔を返してくれ、
それはもう、好きに見てっていいじ、ということになっていた。

二人が「今年のばれいしょはどうだいね」なんて話をしている間、私はたくさんの豚さんを眺めていた。
その集団の鳴き声とうごめく様子は、それはもう迫力があって、ビビリの私は扉の下からちょっと覗くだけで十分スリルのようなものを味わえていた。
気を利かされて抱っこされて近づかされた日には、もう全力で泣いていた。

ただなんというか気になる存在で、小学校に上がってからもひとりでよく見に行っていた。
小学校から帰る時間にタテオさがその辺りにいることはあまりなかったので、豚小屋から振り返り山の端に張り付くタテオさの家目掛けて、
ぶたさん、みせてくださーいっ
と叫んでみる。
しばらくの静寂があって、それが聞こえたらしいときはピョコっとタテオさがどこかの窓からあの笑顔で応えてくれる。
でもそのピョコがなくても勝手に見ていた訳だから、許しを請うていたと言うより子供なりの建前みたいなものだった。お咎めがあったことはない。


この豚小屋は言うなれば集落のアトラクションのようなもので、
溶け込んだ風景として、自然に受け入れられていたと記憶している。


それが七、八年前、地元に帰ったとき、
臭いや鳴き声に苦情が出始め十キロほど離れた反対側の山に小屋を移したという話を聞いて驚いた。


時間の経過は溶けた風景をも乖離するということなのかと虚しさのようなものを覚え、
同時に、ここに戻ってくることを望んでいない自分にはっとした。



そんな十数年後の変化なども想像できるはずもなく、
ランドセルを置くなり私は、
ぶたさん、みにいってくるーっ
と、また転びそうになりながら、坂を飛ぶように、下っていく。









posted by アキラm at 02:34| Comment(0) | 回想散文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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